第2回 空海さんの生誕について



高野山の文化と歴史講座 第2回
空海生誕1250年記念コラム
空海さんの生誕について
木下浩良

(清浄心院・高野山文化歴史研究所 所長)

『高野山の文化と歴史講座』シリーズ第二弾は、令和5年に弘法大師・空海ご生誕1250年を迎えたことを記念し、大師の生誕に関する木下所長の視点を書き下ろしていただきました。毎年6月15日に行われる「青葉まつり」や「宗祖降誕会」の起源にも触れています。

高野山全体が生誕を祝う「青葉まつり」

 高野山に青葉が芽を出す6月15日、宗祖弘法大師・空海さんの御誕生を祝う「青葉まつり」と「宗祖降誕会」の法要が行われる。「青葉まつり」は法要前日の14日の前夜祭から始まり、夜店も出店。高野町商工会青年部主催による、ねぶたが夜の町を練り歩く。15日は法会後の正午に、一の橋から金剛峯寺前まで大師音頭による大師踊りが全国の各種団体により行われる。
 祭りの主役を務める4人の青葉娘は、赤い袴と白衣の千早装束に烏帽子姿で散華をし、稚児大師となった少年と共に、高野山のメインストリートをパレードする。
 このパレードの始まりは、昭和27年(1952)に高野山の南小田原と弁天通の町内が当番として踊ったことによる。同29年(1954)からは高野山の全町内の行事となり、さらには金剛峯寺も後援して、今日の盛大さとなった。この踊りの本来の意味は、盆踊りが死者を供養するために行われる踊りであると同様に、空海さんをお慰めして偲ぶためのものである。高野山の年中行事は、古い伝統を今日に伝えるものが多いが、「青葉まつり」は高野町の住民側から盛りあがった新しい行事であった。

空海さんの生誕を祝う法要「宗祖降誕会」

 空海さんの生誕を祝う宗祖降誕会の場所は、大師教会本部で執り行われる。これは大正4年(1915)同本部が建築されたことによっている。それ以前は金堂が法要の場所であった。同法要の淵源を探ると、意外にもその始まりは新しく、江戸時代中頃の安永2年(1773)6月15日のことであった。我が国には古来、誕生日を祝う習慣はなく、おそらくは4月8日の釈迦誕生の日に行う法会の仏生会(灌仏会)の影響により創出された法会と推測される。
 6月15日の法会については、鎌倉時代の文永6年(1269)年中行事記の6月15日の条に「不空三蔵御忌日」とあり、同じく同時代の正応4年(1291)年中行事記の同月同日の条にも「潅頂院不空御忌日」とある。鎌倉時代の6月15日は不空三蔵の御忌日の法要が挙行されていたのであった。なぜ、6月15日に不空三蔵の法要が行われていたのかについては、後段にて述べる。
 この安永2年の宗祖降誕会の法要については、この時の高野山第320世検校の快辨(かいべん)が大きく関わっている。それが『弘法大師誕生会祭文』である。快辨は6月15日に同祭文を著し、初めて大師誕生の令辰の一座の講会を開いたことを明らかにしている。
 さらに「神童妙齢ノ之尊容」とあり、稚児大師の絵像か尊像が同法要に掲げられたことも分かる。また、同祭文にはそれ以降についても、毎年6月15日には高野山全山を挙げて同様の法要を挙行することも明らかにしている。つまり、この安永2年の弘法大師生誕一千年法要が契機となって、高野山の年中行事となったのである。
 空海さんは宝亀5年(774)、讃岐国多度郡屏風浦(香川県善通寺市)で生まれたとされている。安永2年(1773)は、数えて空海さんの生誕一千年目を迎える慶事の年であった。検校の快辨は、宗祖の生誕一千年を記念して同祭文を作成したのであって、そのことが契機となり高野山では弘法大師誕生会が毎年営まれたのであった。当時の弘法大師誕生会の法要はさぞかし盛大に行われたものと推察されるが、そのことを今に伝える史料は確認できない。

空海さんは不空さんの生まれ変わり

 快辨(かいべん)にとって安永2年の誕生会は並々なる思いがあった。同法会を迎えるにあたり快辨は自ら講式・祭文を作成して、おそらくは法会の導師をも務めたものと考える。さらに快辨作と思われる『弘法大師誕生会式』には、空海さんが大広智三蔵(不空三蔵)の生まれ変わりである説を明示している。不空三蔵の祥月命日が6月15日で、空海さんの生誕日と同日である理由を記している。すでに真言宗内では、空海さんが不空三蔵の生まれ変わりであるとは常識的に言われていることが、本史料では明らかにそのことを明記している。
 不空三蔵は真言八祖の第六祖で、弟子には空海さんの師匠である恵果(真言八祖の第七祖)がいた。不空三蔵は南インドの出身で、大広智不空金剛と号した。唐時代の中国の高僧で、金剛智・善無畏によってもたらされた密教を定着させ、大暦9年(774)6月15日に示寂する。
 本稿で紹介する、安永2年の弘法大師誕生会についての記述は、現状では編纂物等では見出すことができない。ただ、前日6月14日に不空三蔵一千年御遠忌法会が行われていることは注目される。間髪をいれずに、翌日の6月15日には、弘法大師誕生会を開いているのである。ようするに6月15日は、不空三蔵忌日法会から、弘法大師誕生会へと変遷を辿ったのであった。
 その変遷を辿った経緯は安永2年(1773)6月15日が不空三蔵一千年御遠忌であり、合わせて同日が弘法大師生誕一千年目であって、まさに空海さんが不空三蔵の生まれ変わりであることの慶事を記念した一千年目法会であった。以来、6月15日は空海さんの生誕を祝う法会となったのである。

稚児大師御影(ちごだいしみえ)/清浄心院(高野山霊宝館寄託)/室町時代

※現在、清浄心院では木下所長監修の記念寺宝展を開催中です。