高野山の文化と歴史講座 第5回
藤原道長と高野山 2
木下浩良
(清浄心院・高野山文化歴史研究所 所長)
今年の大河ドラマ『光る君へ』が始まりました。主人公は紫式部ですが、縁の深い藤原道長も登場しています。藤原道長といえば、真然大徳が建立した高野山奥之院の燈籠堂を、治安3年(1023)に道長が現在の大きさまでにしたという程、信仰心があつい人物。そこで、『高野山の文化と歴史講座』シリーズ第五弾は「藤原道長と高野山」の続編を公開します。今回は道長の信仰心が伝わるエピソードです。
道長が高野山参詣の規範に
藤原道長が治安3年(1023)10月に高野山参詣を成したことは前回ご紹介しました。実はこの時、道長は不思議な体験をしたと記録されています。
それは、道長が奥之院の御廟前に参拝した時のことでした。御廟への入口の扉が、何と強風で開いてしまいました。すると、どういうことでしょう。御廟内から朝日のような光が発せられて、空海さんが入定されたその身を現されたのでした。道長は驚異して、感激のあまり涙を流したとされています。
おそらく、道長の時代の御廟は今とは違って、出入りが出来たものと考えます。古墳時代の横穴式石室の施設となっていたのではと、推測します。
道長に従っていたお供は、京都の仁和寺の僧侶・近江の三井寺の僧侶をはじめとする公卿など16名だとされています。道長は奥之院に入ると、「一歩三礼(いっぽさんらい)」をしながら、御廟を目指したとされています。一歩三礼とは、一歩歩く毎に三度礼拝する、ということです。並々ならない、道長の信仰心が垣間見えます。道長は、御廟の前では五体投地(ごたいとうち)といって、頭と両ひじ両ひざを地につける仏教における最高の拝礼をしたとされています。
元々、道長が高野山参詣を思い立ったのが、道長が高野山が仏さまで溢れかえっている様を夢見たことでした。その直後に、道長はこの当時、京都で干ばつの時に祈祷で雨を降らしてくれる真言宗の僧侶で有名な仁海(にんがい)を呼び出して、高野山のことを尋ねました。仁海は道長に、高野山は空海が入定されている聖地で、一度参詣すると罪穢れは消滅され、極楽浄土へ行くことは間違いないと説きました。これを聞いた道長は、俄然高野山参詣を決めたのでした。
この時の道長の高野山参詣が、上流階級の高野山参詣の規範となりました。道長と同様の参詣内容となったのです。参詣する上流階級の人たちは、お土産も持参して高野山へ来ました。お土産とは、道長が行ったように、荘園の寄進でした。
以来、高野山参詣は全国的に流布されたのでした。道長の高野山参詣から65年後の白河上皇の高野山参詣の記録では、高野山には上流階級だけではなく、一般からの参詣人も多数あることを記しています。まさに、道長は高野山にとって大恩人であったのでした。