高野山の文化と歴史講座 第7回
清浄心院の星供養
木下浩良
(清浄心院・高野山文化歴史研究所 所長)
「星に願いを」と言うと、ディズニー映画『ピノキオ』の主題歌が思い出されますが、夜空に輝く星に祈ることは、世の東西を問わずなされていました。真言宗でも毎年節分の日に、星に願いを託した星供養(ほしくよう)が行われています。今回は清浄心院での星供養について解説いたします。
廿日大師堂に星曼荼羅を掲げる
星供養は略して「星供(ほしく)」と言い、息災(そくさい)=仏様の力によって災難や病気を防ぎ止めること、増益(ぞうやく)=幸福や財産などの増長を願うこと、延命(えんめい)=寿命を延ばすこと。これらを願い、年のかわり目である節分の日に毎年行われます。
その年の星を祭り、悪事や災難をのがれるように、または星の良い年には一層良くなるよう祈るのです。
清浄心院では本堂にあたる廿日(はつか)大師堂に、北斗七星(ほくとしちせい)を中心として、九曜(くよう)〈※1〉と二十八宿(にじゅうはっしゅく)〈※2〉を描いた星曼荼羅(ほしまんだら)が掲げられます。
その曼荼羅の前には、紙で作った幡(はた)・御幣(ごへい)・銀銭(ぎんせん)と、ナツメ・茶葉・汁(煮た小豆に砂糖をかけたもの)・小餅・干し柿か栗のそれぞれを、かわらけ(素焼きの陶器)に入れてお供えします。
それから、混ぜご飯のお結びに蝋燭をさして立てて、麦ごはんと煎り豆がお供えされます。これで、準備が整って、午後7時から法要となります。法要での所作(しょさ)は誰も見ることは出来ません。
〈※1〉九曜=日・月・火・水・木・金・土の七曜星に羅睺星(らごせい=凶にあたる星)と計都星(けいとせい=災害をもたらす星)を加えたもの。〈※2〉二十八宿=天球を28のエリアに分割したもの。
なぜ、節分の日に星供養をするのか?
本堂で星供養が行われる同じ時刻、囲炉裏の間(土室)でも煎り豆がお供えされ、読経されます。これは誰でも参加できます。
本堂での供養と、囲炉裏の間での読経は一時間後の午後8時10分には終わり、この後に豆まきとなります。豆をまく人は大台所、囲炉裏の間で温められたお湯で手を洗い、口を清めます。そして、清浄心院内の各部屋に「福(ふく)は内(うち)」と言って、本堂と囲炉裏の間で供えられた煎り豆を置いていきます。
最後は正門に出て、「鬼は外」と言って豆を投げ、午後9時頃に一連の行事は終了します。なお、各部屋に置かれた豆は、翌日に回収します。
さて、「節分」とは季節を分けるという意味であり、各季節の始まりの日の、立春・立夏・立秋・立冬の前日のことをいいます。それが、江戸時代以降に立春の前日を指すことが多くなり、現在の節分の日となったのでした。旧暦では立春に最も近い新月を元日としました。これが「旧正月」となり、立春前日の節分も、年越しの日と意識されていたのです。つまり年越しは正月と節分と2回あったのでした。
節分の年越しは大晦日の年越しよりも古い年越しでした。新たな一年を迎えるにあたり、人々は星に祈り、どうか新しい日々を光照らして欲しいとの願いを星に託したのでした。
また、今の豆まきでは鬼は災いの存在として扱われますが、昔はそうではありませんでした。古い習俗が残るところでは「福は内、鬼も内」と言って豆まきをしたのです。
鬼とは何か? じつはご先祖様の霊なのです。鬼(おに)の語源は穏(おん)だとされています。隠れていて見えないものということです。
では、その鬼がなぜ悪い存在になってしまったかというと、仏教の影響からだとされています。たとえば、地獄の鬼がそうです。日本の鬼は秋田県の大晦日に行われる「なまはげ」と同じで、ご先祖様がこの世に現れたお姿なのです。それが今では、せっかく子孫の厄を払ってやろうと節分の時に近づいたとたん、煎り豆を投げられて追い払われてしまうのです。
本来、豆の役割とは何かというと、鬼を追い払うものでなく、悪い厄をうつし祓うためのものなのです。だから、厄がついた豆は捨てられることになる訳です。このように、日本の年中行事の深層にあるのは、仏教以前の日本人の古い信仰があることを忘れてはいけないと思います。