金剛峯寺御手印縁起写本【寺宝解説】

金剛峯寺御手印縁起(こんごうぶじおていんえんぎ)写本/江戸時代

3月1日から5月31日まで清浄心院「春の寺宝特別展」にて展示予定の『金剛峯寺御手印縁起』(こんごうぶじおていんえんぎ)写本です。現在、NHK大河ドラマは「光る君へ」が放映されていますが、藤原道長が当時高野山に参詣した頃の高野山を知るための絵図として、とても興味深いものです。今回は木下所長が清浄心院にて発見したこの絵図を、わかりやすく紹介してくださいました。ぜひ、この寺宝展で実際にご覧ください。

高野山絵図
金剛峯寺御手印縁起写本。実際は横長のために写真では一部を掲載。

 高野山を描いたもので、最も古い絵図です。今から1000年以上前の平安時代中頃。空海さんが御入定して120年ほど後で、ちょうど『源氏物語』を著した紫式部や、藤原道長が生きていた頃の高野山の様子です。
 高野山内は壇上伽藍付近と奥之院だけ。彩色があって、よく当時の高野山の様子を伝えています。ちなみに道路は赤い線で現されています。
 注目されるのが、地図右側に見える奥之院の御廟です。御廟が今と違って、壇上伽藍の中心にある根本大塔と同じ塔の形をして描かれています。現在の御廟は方形平面の宝形造(ほうぎょうづくり)の建物であり、今の形態となったのは、天徳年間(957~961)のことですので、それ以前の御廟の姿になります。
 よく見ると、奥之院のことを「奥院入定所」と明記しています。御廟とは言ってないのです。大門も今と違って鳥居の形状となっています。

金剛峯寺御手印縁起写本の大塔付近を拡大したもの。

 一方、壇上伽藍の諸堂を見ますと、中央に大きく大塔を描いています。大塔の前に「御願堂」とあるのは金堂のことで、その後ろに赤文字で「廟堂」とあるのは御影堂。さらにその後方にある「僧坊」とあるのは、空海さんの弟子たちが寝起きしていた建物のことでしょうか。また、西塔はなくて「西堂」というお堂があることも注目されます。御社は現在の位置にありますが、「丹生社」と「高野社」の二つが描かれています。
 現在、高野四郎の梵鐘が配置されている場所は「鐘楼」があることから、当時の壇上伽藍には、今はない「食堂」と「経蔵」があったことが分かります。そうすると、その近くにある小さな塔は空海さんの弟子で、甥にあたる智泉(ちせん)の御廟だと推定します。
 この絵図は『金剛峯寺御手印縁起』(こんごうぶじおていんえんぎ)という空海さんの手印を捺して自筆の文書・図面を集めたものを、後醍醐天皇がさらにレプリカとして作成し、自らが手印を捺したものの中にあるものです。今回発見した清浄心院所蔵の本図は、後醍醐天皇が作成したそのレプリカから、さらに後世の江戸時代に写された写本です。写本そのものは新しいものですが、平安時代の高野山を知る貴重な資料となっておりますので、実際に寺宝展で見ていただければと思います。
 前回まで藤原道長の参詣について解説してきましたが、実際に道長が高野山へ参詣したのが治安3年(1023)ですので、それより60年ほど前。10世紀中頃の高野山の様子ということになります。当時、高野山の参詣をした藤原道長がこのような景観を見たものと考えますと、大変感慨深くなります。 木下浩良