霊宝館「高野山の名宝」展の見どころ1【運慶と快慶】

八大童子立像と仏師・運慶と快慶 解説/大森照龍(高野山霊宝館長)

 高野山霊宝館が所蔵する高野山の壇上伽藍・不動堂の本尊の不動明王に附属する八体の童子が今に伝わっています。八体ともに、貴重な鎌倉時代から南北朝時代の作ですが、特にその中でも四体の、制多伽童子像(せいたかどうじ)、矜羯羅童子像(こんがらどうじ)、恵光伽童子像(えこうどうじ)、烏俱婆誐童子(うくばがどうじ)は運慶(うんけい)の作品とされる貴重な仏像です。いずれも国宝に指定されています。今回の高野山霊宝館の特別展には、そろって展示されています。
 大森霊宝館長は「今回は3年ぶりの運慶作の4童子の展観となります。また、今回の展示の後には修復する予定となっています。この機会に是非とも霊宝館へお運び頂き、日本の仏像彫刻史上もっとも有名な仏師運慶の仏像を堪能して頂きたい」と解説下さいました。

日本の歴史上もっとも有名な仏師運慶

 運慶といえば、日本史の教科書にも出てくる人物。鎌倉時代の初めに活躍した仏師(ぶっし:仏像を作る工人のこと)です。作品として知られているのは奈良東大寺の南大門の左右に立つ金剛力士像が有名です。その他、運慶作とされる仏像は全国に三十体程あります。この運慶作と明言できるものは少ないのが現状です。その中にあって前記の四体の制多伽童子像・矜羯羅童子像・恵光伽童子像・烏俱婆誐童子は明らかに運慶の作品とされる貴重な仏像です。
 運慶は平安時代末から鎌倉時代の初めにかけて活躍しました。運慶が造った仏像は武士の世の中となった世相に反映して力強くて、写実的(しゃじつてき:事実をありのままに描き出そうとすること)な新しい様式となっています。
 たとえば、「玉眼(ぎょくがん)」といって仏像の目に水晶をはめ込んだり、仏像に肉体を与えたり、まるで生きているかのようなリアリティを持たせています。運慶の作品は非常に高い技術と独自の表現力を持っているのです。その作品には、見る者に強い印象を与え、仏像の存在感を感じさせるものとなっています。運慶の仏像は、当時の人々の信仰心を反映し、仏教の教えを広める役割を果たしたのでした。

高野山霊宝館の大森館長と木下所長
阿弥陀如来
清浄心院の運慶作:阿弥陀如来立像(重要文化財)

同じ仏師グループ、慶派に属する快慶の作風

 一方、運慶と同時代の仏師として知られているのが快慶(かいけい)です。前記の運慶とともに快慶は同じ「慶」の字を名前としています。これには意味があります。同じ仏師のグループの「慶派(けいは)」に属していたからでした。慶派とは、平安時代末頃から続く仏師の一派です。名前に同じ「慶」の字が付くのが特徴です。運慶は慶派の頭目の康慶(こうけい)の実子で、快慶は康慶の弟子なのでした。運慶と快慶は兄弟弟子の間柄でした。
 日本の仏像彫刻に大きな功績を残した運慶と快慶の2人ですが、作風には明らかな違いが見受けられます。両者は独自の作風を確立していたことが分かります。運慶の作風は前記の通りで、一言で言えば「力強さ」ということになります。まさに日本版ミケランジェロなのです。
 それに対して快慶の作風は、理知的(理性と知恵。本能や感情に支配されず物事を論理的に考え判断する能力)で繊細(感情などがこまやか)とされています。特に快慶は阿弥陀如来像を今に多く残しています。快慶自身が、阿弥陀如来に対する信仰心が強い人物で、民衆のための仏像の阿弥陀如来を作り続けたとされています。
 清浄心院に祀られています、国の重要文化財に指定されている灌頂堂の阿弥陀如来は運慶作のものとの伝承がありますが、実は快慶作ではないかと考えます。

 今回の高野山霊宝館の特別展には、大森館長も「是非ともご覧いただきたい」と自信をもって仰っています。この機会を逃すことなく、足をお運びいただきたくご案内申し上げます。合わせて、清浄心院の運慶作の伝承の仏像をご覧いただき、清浄心院にもあわせてご拝観いただきたくご案内申し上げます。

文:木下浩良

高野山霊宝館の特別展
https://www.reihokan.or.jp/tenrankai/list_tokubetsu/2024_07.html