高野山は人としての原点を取り戻す場所
大倉源次郎(おおくらげんじろう)先生は、小鼓方大倉流十六世宗家で、2017年に重要無形文化財保持者各個認定となられた、人間国宝でいらっしゃいます。9月15日に高野山壇上伽藍で「新作能空海-万燈万華の祈り」が催されました。この能舞台で、大倉先生は小鼔の優雅で端麗な響きを演者としてご披露なされました。
この舞台の前に、大倉先生を清浄心院にお招き致しました。空海さんや高野山のことを、上段の間でインタビューさせて頂きました。聞き手・文/木下浩良(清浄心院文化歴史研究所所長)
木下浩良所長 本日はお忙しい中、清浄心院へお運びいただきありがとうございました。
大倉源次郎先生 高野山には何度も参りましたが、清浄心院へお邪魔したのは初めてです。奥之院の入口にあるお寺なのですね。宿坊もやっていらっしゃるのですか?
木下 はい、宿坊も営んでいます。清浄心院の開基は空海で、中興は清盛の息子の平宗盛と言われています。戦国時代では、上杉謙信や豊臣秀吉・徳川家康の信仰をいただいていました。先ず御覧になっていただきたいのは傘桜です。樹齢400年以上の古木で、秀吉がこの桜の下で花見をしたと伝えています。太閤桜とも称されています。春には見事な満開の桜を見ることができます。
大倉 秀吉公からいただいた名前(二代虎家・三代虎宣)があります。秀吉公には大変ご縁があります。後で、小鼔の奉納演奏をさせて頂きたいですね。また、機会を見つけて清浄心院で宿泊させてください。清浄心院は建物が立派で、運慶作の阿弥陀如来の仏像も拝見させていただきました。素晴らしい寺院だと思いました。
木下 せっかくの機会ですので、大倉先生へいくつか高野山のことや、空海さんのことをお伺いしたいのですが、単刀直入にお尋ねいたします。空海さんの想いを一言でいいますと、どのような人物だったと思われますか? 高野山のこととあわせて、大倉先生のお考えを伺いたくお願い致します。
大倉 空海さんのお歌で、「谷川の清き流れの音さへも御法の声と聞くぞうれしき」というものがあります。特に、高野山を開創された空海さんは、このようなことを高野山を開く際に求められたように思います。悟りといいますか、真理は山中の自然の中にあると空海さんは明言なさっています。
木下 大倉先生、もう少し、解説をいただきますか。
大倉 空海さんは本当に自然が大好きだったように思います。時空間に制約を受ける都会の中では、物事の真理はつかむことは難しい。ということですね。このことは、現代社会にも当然のことながら通じるものと思います。大自然の中は、悟りや真理の世界があると空海さんは思っていらっしゃったのではないでしょうか?
木下 私も常々、空海さんは自然が好きだったと思っていましたが、高野山を開かれた背景には、私たちが知りえない壮大な想いがあったということなのですね。
大倉 そうだと思います。日本には春夏秋冬の四季があります。いわば移り変わる自然の中にこそ、真理があると空海さんは思っていらっしゃったのではないでしょうか。当時の平安京という人間が作り上げた人工物の中の都会では物事の真理はつかめない。そのために、空海さんは高野山という大自然の中に、ご自身の寺院を開かれたと思います。
木下 大倉先生、いいですね。まさに、空海さんが高野山を開いた本当の意味が自然の中の寺院の建立だったのですね。
大倉 空海さんには特に、日本古来の山に対する信仰の修験道の想いがあったものと考えます。修験道の開祖として尊崇されているのが、役行者(えんのぎょうじゃ)です。空海さんも、役行者への信仰があったものと思います。
木下 そういえば、女人堂には三体の仏像が祀られていますが、そのうちの一つが役行者像です。室町時代頃の作だと思います。
大倉 日本の精神文化は神道の教えでした。そこに仏教が入ってきました。仏教は、日本の精神世界を理論で解明しようとしましたが、そこには限界があったものと思います。そこで出てきたのが、役の行者であり、それを更に平安の世に示されたのが空海さんだったのです。空海さんは自然と仏教をミックスして、誰でも理解できるものを提示したと思います。
木下 それが、真言宗の教えなのですね。高野山はその空海さんの想いを具現化する場所なのですね。
大倉 高野山は人としての原点を取り戻す場所だと思います。人工物の都市は人を狂わせる力を有しています。その反面、自然は人を生きものの人として再生する場所だと思います。
木下 そう考えると、今こそ高野山が果たすべき役割の大きさを思ってしまいます。
大倉 先に申しましたが、私たち一人ひとりが日本の四季の自然の中で営みを続ければ、自身も自然の中で生かされていることを知ることができます。自然の中で育まれる木や草も成仏することを体験できます。私たちは自然の中で草木と同じ立場で、生きて仏や菩薩となっているのです。
木下 まさに、空海さんが仰っている「草木成仏」ですね。
大倉 そうです。西洋のキリスト教の文化では、この世では「原罪」を背負い、あの世でようやく「天国」へ行くことになります。昨日、中合わせ(リハーサル)を高野山でごらんになったフランス人に涙を浮かべて「感激しました」と高野山で出会った一期一会に「自分たちを救ってくれる場所があった」と感じられた様子でした。私は、高野山がますます世界中から注目されることを願っています。
木下 大倉先生、ありがとうございました。先生のご指摘は、今後の高野山の行くべき指針だと痛感致しました。今日は、私自身も先生からお力をいただきました。今日はご多忙の中長時間にわたりお時間をいただき、本当にありがとうございました。
大倉源次郎
能楽囃子方、小鼓方大倉流能楽師。1957年十五世宗家・大倉長十郎の次男として生まれる。2017年、重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)。