第1回
豊臣秀吉その一族と高野山・清浄心院
今月から木下浩良所長が連載でお送りする新シリーズ『高野山と豊臣秀吉』。現在、放映中のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』が人気急上昇中ですが、高野山は豊臣秀吉とその一族にとって、とても縁が深い場所です。そこで、今月から豊臣氏にテーマに新しい連載企画を始めることになりました。第1回は秀吉が花見をしたという当院の太閤桜のお話です。第2回は清浄心院が管理し、高野山奥之院にある「淀殿と秀吉の嫡男秀頼の五輪塔」について、第3回目は「高野山と秀吉の関わりの歴史」を順にご紹介します。

今年のNHK大河ドラマとして、「豊臣兄弟」が放映されています。豊臣秀吉の弟豊臣秀長を主人公に、百姓から下剋上を経て天下統一するまでを描くものとなっています。
秀吉とその一族にとりまして、高野山は密接な関係がありました。NHK大河ドラマは令和8年の一年間の放送となりますが、そのことに合わせて本ホームページ上でも清浄心院をはじめ高野山と豊臣秀吉とその一族について連載させていただきます。
先ず、第1回としてご紹介したいのが、清浄心院の表玄関の正門に入ってすぐ左側にある桜の老木です。この桜を、清浄心院では「傘桜(かささくら)」とも、「太閤桜(たいこうさくら)」とも称しています。木の姿が、傘をさしたような見事な形状から名付けられたもので、またこの桜の下で秀吉が桜見をしたことからそのように称されています。
秀吉はこの清浄心院の桜の木の下で、「年を経て 若木も花や 高野山」という歌を詠んでいます。秀吉が詠んだ歌はこの他にもありますが、桜の花に対する素朴な秀吉の想いの一面を伺い知れる歌となっています。
秀吉と言えば晩年に京都の醍醐寺において「醍醐の花見」を催したことが有名です。「花見がしたい」と思い立った秀吉の号令で、700本もの桜が醍醐寺にかき集められて移植されて、庭園が作られ盛大な宴が開かれました。この時、招待されたのは、正室の北政所(きたのまんどころ)、側室の淀殿(よどどの)、三の丸殿(さんのまるどの)など女房衆をはじめとする約1300人でした。さらに、醍醐の山々には茶屋が設けられました。この花見が行われた5ヶ月後の慶長3年(1598)8月秀吉はこの世を去りました。
清浄心院の太閤桜は、毎年4月上旬から中旬にかけて満開の花を咲かせます。秀吉が桜見をした時は若木であった清浄心院の桜は、老木となり今に繋がっています。歴史上の重要人物の秀吉が見た桜の花を是非ご覧下さい。
木下浩良

