高野山の食文化【大和当帰】

高野町富貴地区の大和当帰(やまととうき)の歴史 解説/木下浩良

高野山に隣接する集落の富貴(ふき)地区で栽培されてきた「大和当帰(やまととうき)」。当帰は古くから漢方処方薬として有名な薬用作物です。この大和当帰の歴史について木下所長にお聞きました。

 高野山は海抜約850mの山頂の盆地にあります。標高が高くて気温が低く、平地が限られていて、農作物や果樹の栽培には厳しい場所です。しかしながら、高野山周辺の集落では、その山の特徴を生かした産物が古くから生産されて、今に至るまで宗教都市高野山を支えています。
 ここに紹介する高野山に隣接する集落の富貴(ふき)地区は、高野山から奈良県の大峰山や、十津川村・熊野方面へと通じる街道が交差する交通の要所でした。当地では、米作の他にコンニャク・タバコ・ミョウガ栽培が盛んな場所でした。中でも注目されるのが当帰(とうき)という作物です。正式には「大和当帰」といいます。

 当帰とはセリ科の多年草で、古くから漢方処方薬として有名な薬用作物です。特に婦人薬として当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん)などに用いられてきました。この漢方薬の効果としては「血」の不足を補う作用があり、貧血や倦怠感の改善、生理不順や月経困難症の改善、更年期障害 (頭痛・めまい・肩こりなど) の緩和、冷え性の改善、不妊症の治療などが挙げられ、非常に応用範囲の広い漢方薬です。当帰の根部が漢方薬として使用されますが、葉の部分も同じ効果があります。天ぷらなどで食することができます。
 富貴地区にこの薬草栽培を伝えたのは高野山の僧侶だと伝承されています。江戸時代に編纂された『紀伊続風土記(きいしょくふどき)』にも富貴地区では薬草を栽培するとの記事が見受けられます。これにより、同地区での薬草栽培の伝統は江戸時代以前にまでさかのぼることが出来ます。有に200年上の歴史のある薬草なのです。
 現在、高野町富貴地区協力隊として森島大介さんが大和当帰栽培技術継承者として活動されています。この度、清浄心院における即売会に参加していただき、大和当帰(葉の部分)をはじめとする富貴地区で昨日採れたばかりのとれとれの野菜を販売して頂きました。
 清浄心院では、このように定期的に高野山の山麓野菜を門前にて野菜市を開いています。この機会に、是非とも当院へお運びいただき、野菜や薬草を通じた高野山と山麓の村々が培った歴史の一端をごらん下さいますようご案内申し上げます。 解説・文:木下浩良(清浄心院文化歴史研究所所長)

高野山麓野菜・即売会のお知らせ

 11月3日、清浄心院の門前で、清浄心院の精進料理で使用している「高野山麓野菜」の即売会が開催されました。次回は12月1日のAM8:30から販売する予定です。高野山内の方々はもちろん、参拝・観光に訪れた方もお気軽にお立ち寄りください。売切れ次第終了となりますので早めにお越しください。

【日程】12/1(日)
【時間】AM8:30頃から
【場所】清浄心院門前

*天候や都合により日程が変わることがあります。